”兼業”という言葉が一般的に語られるようになる遥か昔々、複数社の名刺を持ち営業とマーケティングのコンサルに取り組んだのは”冨田さん”からの一言が大きなきっかけだった。
ここに一枚の名刺がある。
株式会社フルキャストシステムコンサルティング 代表取締役社長 冨田 正治さん(現ビートテック株式会社 代表取締役社長)の名刺だ。
右上隅に2001年9月5日と私の手書きメモが。
丁度今月は20年の節目。共に齢63、いつの間に歳を重ねたものだ。
━━━━ ヘッドライン ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第一幕 忖度しなかったからこその縁尋機妙・多逢聖因
第二幕 善きご縁は善きご縁を招くが、時として悲しくやるせないことも…
第三幕 上り坂、下り坂、まさか… 経営も人事も人生も。
第四幕 皆由無始貪瞋痴…人は人になる前から嫉妬心を備えてる悲しさ
第五幕 古いご縁が新しいご縁を…機縁の不思議さは人生の妙味
第六幕 社員を大切に…口にするは容易ゆえの“知行合一”
第七幕 晏平仲 善與人交 久而敬之。長い付き合いこそ更に永く…
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冨田さんに初めてお目に掛かったのは、当時私が役員を勤めていた開発会社と冨田さんが社長を務められてた会社の親会社との資本業務提携に関する会議での名刺交換だった。
会議自体は表むき滞りなく終わり、各社毎の役員会討議となるわけだが私は考えがあり反対の意思を表明した。
で、私以外の役員は創業社長のご意向に御意ッ!。
いい歳して私一人が忖度という語を学んでなかったワケだ。笑
結果的に提携話はお流れとなったが、後日冨田さんも私と同じく役員会で高らかに反対意向表明をされていたという事を知り、互いに歯に衣着せぬ姿勢や考え方から意気投合。
公私に渡る長い長いご縁が始まった。
暫く経ち、私は社風がそぐわない違和感から、独立し中堅中小IT企業の営業とマーケの支援を“メルマガ”を通じ提供してゆくコンサルサービスについて冨田さんに意見を求めた。
「岡田さんの豊富な人脈を生かすにはその事業方向性は善いのではないか。もし独立するなら早速顧問契約をしたい!」まさにこの冨田さんの一言が私の背中を押してくれ、20年後の私に至った次第だ。
まさに“忖度しない”がもたらせた縁尋機妙・多逢聖因だった。
第二幕 善きご縁は善きご縁を招くが、時として悲しくやるせないことも…
その後、冨田さんは株式会社フルキャストシステムコンサルティングとグループ内企業とを合併させ、フルキャストテクノロジー常務に就任され、私もその足下で営業顧問として当時としては脚光を集めたVisioベースのワークフロー【Process Bord】の市場拡大のお手伝いをさせて頂いた。
或る時、親しくする経産省系財団法人常務理事から「福岡で活躍しているPMが東京で仕事をしたがってる。」と紹介を受けたのが、私のメルマガでも度々紹介させて頂いてる故一幡憲永君である。
20年も昔の話だが都内某インテリジェンスビルにおける館内施設の情報案内をiPAQ Pocket PC等々に配信、表示させる先進プロジェクトに深く貢献したメンバーの一人だった。
癖があり生意気な、かといって憎めない、いずれ事を興す匂いがプンプンした起業家意欲旺盛な若者だった。
冨田さんに強く採用を薦め、一幡君は冨田さんの元で数々のプロジェクトに加わり、日々腕を磨き八面六臂の活躍を通じ、やがて投資家も見つけ出し、起業の段取りが整い「副社長に就任します!」と新オフィスに招かれた10日後、2005年6月23日未明にクモ膜下により急逝してしまった。享年39歳。
私よりもはるかに若くはるかに秀逸なヤツが…。正直、言葉が見つからなかった。
早いもので今年は17回忌。
毎年6月には”一偲会”と銘打ち、冨田さんと共に当時のメンバーが集まり陰膳を据え献杯を手向けている。
今年はコロナ禍ゆえWeb呑み会の形となったが東京と一幡君の古巣、福岡をつないでの偲ぶ会だった。
安岡正篤先生の言葉に、『一人物の死後に残り、思い出となるのは地位でも財産でも名誉でもない。 こんな人だった。こういう嬉しい所のあった人だというその人自身、言い換えればその人の心・精神・言動である。このことが人間とは何かという問の真実の答になる。』といった一節が改めて思い返される。
上司を上司と思わず、小生意気でわがまま勝手ながらも馬力とスキルと人懐っこさは抜群。
やけに蒸し暑つかった葬儀の日、トレードマークの黒ブチ眼鏡をかけ飄々と涼しげな表情で横たわる…まこと憎めないヤツだった。
冨田さんも常務としてフルキャストテクノロジーを上場まで運ばれたが、企業の規模が大きくなるとそれに合わせ色々な人間が社外から流入してくるもの。私が在籍していた開発会社もそうであったし、世の中似たような話は枚挙のいとまがない。
或る時、メルマガのリプライが来た。暫く御無沙汰してた冨田さんからだった。
早速渋谷道玄坂裏の馴染みの居酒屋に一献の席を用意したが、驚くかな冨田さんの口から先行きについての悩みを耳にした。冨田さんほどの人物が…余程のことがあるのだろうと容易に察せられた。
ここから再び縁尋機妙・多逢聖因の歯車が急回転し始める。
本メルマガでも何度かご紹介させて頂いたことのある故牛窪良太郎君(享年31歳)。
彼が生前常務として辣腕を振るってたSES系企業では突如創業社長が会社を売却し、買収した側の経営層はオーナー社長筆頭にIT系ビジネスの経験値が薄く、当時顧問を務めていた私も種々悩みを抱えていた。
まさに時を得たり人を得たり…とばかりに冨田さんの幹部採用を強く進言し、綱渡りの様なスケージュール調整とITを知らない経営層へ現状リスクや先行き不安等々を脅し気味に言い含め、僅か2週間ほどで冨田さんの専務取締役就任に漕ぎ付けた。
元々27億ほどあった売上が会社売却やら度重なる社長交代等々で17億まで急落した状況下、冨田さんが専務に就任したことにより僅か3年で33億までのV字回復。
目を見張る経営手腕だった。
大型受託案件のPMからパッケージ・ビジネス、SESまで幅広いITビジネススキルの上に、その人柄ゆえ社員一同生き返った如くの溌剌感は眩しかった。
善き縁尋機妙・多逢聖因を創出できた手応えに私も顧問として誇らしく感じてた。
ところがある日突然、本当に突然…。絶句…。
第四幕 皆由無始貪瞋痴…人は人になる前から嫉妬心を備えてる悲しさ
ある日、歳はさほど変わりないオーナー社長と冨田さんとが二人きりで会議室に入り、その会議が終わった時には冨田さんの専務退任及び退社が決まっていて…まさに絶句。
私だけでなく社内も動揺の波にのまれた専務就任後3年目の年度末。
落ち着いてから事情を伺うと、まさにいつもと変わらずの冨田さんらしい出処進退だった。
事の発端は、あの派遣法改正。
オーナー社長の机上視点での派遣法改正対策に対し、現場目線とクライアント目線での冨田さんの”忌憚ない”意見が真っ向正面衝突がそもそものきっかけだった。
オーナー方針では社員とクライアントを守ることが困難との判断から、冨田さんは職責をかけ対抗したが、IT業界理解度の低い経営層の説得かなわず、オーナーと専務との意見が対立することで、社内が以前の様なダッチロール状態に舞い戻ることで混乱に巻き込まれる部下後輩を慮り、自ら出処進退の答えを出した…というのが一連の流れだった。
無骨なまでの筋を通す冨田さんらしい“知行合一”に『懺悔文』の一節が頭をよぎった。
『皆由無始貪瞋痴』
貪瞋癡は人間のもつ根元的な三毒で、人が人になる前から備わる煩悩。“瞋”は嫉妬やっかみを意味する…と私は解釈している。
さほど年の離れてないオーナー社長だからこそ、部下後輩から信任の厚い専務の冨田さんに、自らの立場を脅かされるような嫉妬心・恐怖感のようなものを抱いた結果の一連の流れだったのではなかろうか。(あくまでも私見)
実は冨田さんが去った直後にオーナー社長からこっそり相談を受けた。
『誰か代わりに善き人は居ないか…』笑
人脈がウリの私ゆえご要望には応じたが、残念ながら再び大幅な売上減を招くこととなり、それもきっかけの一つとして私も顧問辞任の腹を括った。まさに不昧因果の教えの如く。
2015年(平成27年)1月にビートテック株式会社は産声を上げた。
社長は冨田さんで主要幹部は昔の部下や後進後輩が名を連ねている。その中には故牛窪良太郎君の経営者DNAを遠く授かったメンバーも。冨田さんの人柄を表す証左かと。
コロナ直前の話。
日頃から親しくさせて頂いてるマジックソフトウェア・ジャパン様のパートナー総会にお招きいただき、懇親会場にてたまたま千代田化工建設関係の方お二人と名刺交換をした。
千代田化工…そういえば冨田さんが昔在籍されていた会社では…との記憶から、ふと名を出してみると『昔、大変世話になりました!』との事。
驚くかな奇遇にも冨田さんの部下後輩にあたる方々だった。
ならばと再会の場を企画してみたら30年越しで冨田さんを慕う方々が5名も集まられ、互いに皺は増えたものの善き歳の取り方をされて、場は盛り上がり、社内報に掲載された冨田さんの新任課長時代の写真など飛び出したりと。大笑
その後、世はコロナが蔓延し、ならばとWeb呑み会を企画したらなんと総勢10名もの後進後輩仲間が。
30年経っても慕われ信頼され…吾が身もそうありたいものだとつくづく。
ビートテック株式会社は社員を大切にすることを標榜している。
ホームページには『100年後の子供たちのために』と大きく掲げられている。
“社員を大切に”…今は時代ゆえ多くの会社が同様の表現を掲げているが、
そんな中“知行合一”の如実な証となる出来事があった。
ビートテックでは毎週PCR検査を続けている。
単に感染者を早期発見するためだけでなく、罹患社員の家族の為でもあり、他社員の為でもあり、他社員の家族の為でもあり、取引先の皆々様のために、当たり前の如くコストを負担し実施し続けている。
たまたまビートテック社内で動画撮影の必要が発生し、動画制作会社を選定し、いよいよ撮影に入る段階で”ビートテックの費用負担でのPCR検査“をお願いしたところ、動画制作会社の代表は『万一罹患者が見つかると業務が停滞するので困る。』との理由で、費用はビートテック持ちであるのにもかかわらず断りを入れてきた。
経営者もそれぞれ、考え方もそれぞれ。
とはいえビートテックとしては企業姿勢を問われた形となった。
業者選定や撮影内容の詰め等々多くの時間をロスすることになるが、コロナに対する姿勢、周囲への配慮に対する経営層の考え方の違いからその動画制作会社へ発注の取り消しを申し入れた。
立場により色々な意見は有ろうとは思うが、私はこの話、この判断には好感を抱いた。
後日談になるが、捨てる神あれば拾う神ありの如く、「ならば…」とばかりに自ら進み出て動画撮影編集を買って出た社員が現れたたそうだ。
災い転じて今後はコストを掛けずに動画作成が社内体制で可能にといったおまけにつながったそうな。
“社員を大切に…”はどちらの会社も安易に口にする時代のキーワード。ゆえに“知行合一”がなされているか否かは企業自身が顧みるべき大切な姿勢。
第七幕 晏平仲 善與人交 久而敬之。長い付き合いこそ更に永く…
『晏平仲(あんぺいちゅう:中国春秋時代の政治家)善く人と交はる。久しうして人これを敬す』これは論語の中の一節。
安岡正篤著『論語の活学』166ページには「晏平仲は善く人と交わった。永く交われば交わるほど人は晏平仲を尊敬した。付き合いが長くなると”あら”が見えやすい、嫌になりやすい。だから久しく交わっても敬意を抱かせられるというのは、よほどその人物が偉いのである。」と記されている。
冨田氏は晏平仲の如きお人柄…が私の長きご縁の上での人物評。多くの知己の中でも指折りの懐の深さ。
実は安岡先生の教えには続きがある。
「と、同時に交わる相手もまた心がけがよいということが言える。」と締め括られている。
では、冨田さんとのご縁の中で、私は果たしてそうであっただろうか…。汗
気付けは共に齢63。
我が家と同じく冨田さんも娘さんとのコミュニケーションには苦労をされてるよう。笑
いつの日か冨田さんの娘さんがこの駄文からお父上の仕事ぶり、漢の背中に思いを馳せていただく機会につながれば…。そんな思いで20年を振り返る夏の終わり。
叶うならそろそろ野毛で一献交わしたいところ。
以上
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┣ 1999年9月より不定期に配信させて頂いております。
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┣ 迅速に配信停止致しましてその旨ご報告申上げます。
岡田圭一 090-4923-4682
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